徳川秀忠の事件簿秀忠と言う人は初代将軍家康の創業者としての凄み、三代将軍家光の我がままぶりから考えるととても控えめな印象があります。 |
関が原遅刻事件何時の世も遅刻をする人はいるものです。しかし、秀忠が無能であった為に遅刻をしてしまったのでしょうか? 上田の真田幸村親子のゲリラ戦に引きずられて遅れたとされているようです。しかし、明らかに敵のいる城の横を抜けて、敵に背を向けて関が原方面へ迎えるものなのでしょうか? 殿を置いて後方を警戒しつつ関が原方面にすすむと言う方法もありますが、その場合は真田勢が殿を襲うか、江戸を狙う事もあったのではないかとも考えられます。 上杉が江戸に向かっていたらそれで徳川は挟撃されたかも知れません |
後継者事件秀忠は三男で家督を継いでいます。また、家光自体も次男(らしい)。 当時はまだ長子相続という考えが一般的でなかったとするならば出来のいい息子に継がせようと考えるのも不自然ではないのではと思います。 |
徳川秀忠の年表 |
1579年5月2遠江国浜松で誕生。 徳川家康と側室の西郷の局。家康の三男 |
結婚天正18年(1590年)に織田信雄の娘で秀吉の養女・小姫と一回目の結婚、その後離縁となる 文禄4年(1595年)に秀吉の養女・江と再婚する。再婚・再再婚の夫婦だったのですね |